2015年6月4日木曜日

キリシタン殉教公園に寄った

県境を越え、しばらく行くとキリシタン殉教公園の案内が見えた。街道のガイドブックにも載っていたし、新任時代唐桑と亘理の行き帰りにキリシタンの地である米川の近くなので気になっていた所だ。着くと記念館の閉館時間となっていたが正面にある記念公園を登ってみることにした。天にも昇るごとく階段がはるか上まで続く。階段の手前に作家田中澄江さんの寄文の石碑があった。階段の脇には8の字を描くようにキリストの受難を示す碑文が設置してあり、その所々に殉教者の首塚(模作)や石碑、作家遠藤周作の碑文もあった。頂上には、鐘楼とヨハネ・パウロ2世の石碑があり、その先に建物が見えた。時間外なので入れないと思っていたが、鍵はしていなかった。いつでもお参りできるようにとの配慮なのだろう。岩手出身の著名な彫刻家のキリシタン船越のキリストの磔像があった。その荘厳さに思わず十字を切った。この地は鉱山技術者を西洋から取り入れた時にキリスト教も入り、地域に溶け込んだ。その後、幕府、藩の禁教により殉教へと苦難の道を辿ることとなった。殉教の地には長崎もあるが、ここ大籠は歴史的に最後の地になったそうだ。

室根山からの眺望を楽しんだ

唐桑の牡蠣養殖家の畠山さんが植樹をしている一関市にある室根山のキャンプ場に一泊しようと山を登った。国道から右に折れ大船渡線の線路を越えると、山容をバックにした鳥居が立っていた。山岳信仰の地なのだろう。山道はしだいにきつくなり、時々ギアをローに入れた。頂上近くのキャンプ場管理人に、頂上には天文台があり食事がとれるという。もう一度車に乗り上にあがった。建物は1階がレストハウスになっていた。窓から気仙沼湾が見え、大島の亀山、唐桑半島の早馬山がよく見えた。ここでおいしいラーメンを食べたが、店主は今日の強風のおかげで例年秋にしか見られない眺望だと言っていた。ラッキー。盛りが過ぎたツツジを見に外を歩いた。ほぼ900メートルの独立峰だけあって周囲360度すべて見える。が、花の盛りは過ぎ、しかも結構な寒さだ。一泊するのは止めにし、今夜は宮城県河北町にある上品の郷に向かうことにした。

2015年6月3日水曜日

懐かしの平庭高原

大学1年の時、同じクラスの私たち美術と隣の音楽専攻の学生で宮古の真崎でキャンプした。海岸沿いの所だったが、先の津波で翌年に出かけた時に見たのは跡形もない更地だった。そのキャンプの前に立ち寄った平庭高原の情景は今でもその時の高揚感と空気感までも鮮明に覚えている。今回は江戸時代の街道に触れる旅でもある。これは、平庭高原脇に残る塩の道だ。この後立ち寄った道の駅のだには当時の街道を行き来した牛飼いの像があった。

2015年6月2日火曜日

岩手 宮沢賢治記念館

3泊4日の予定で岩手にドライブした」。高速を使わずに一般国道、県道のみをひた走った。今日の目的地は九戸町の道の駅おりつちだ。ナビの入力ミスで予定のコースから2度外れ、時間のロスがあり、着いたのは19時をまわった。写真は唯一車を止めて立ち寄った宮沢賢治記念館の敷地内に設置してある彫刻だ。見るべきものが沢山あった。いつかもう一度来てみたい。「雨にもまけず…」の直筆コピーを土産にした。

2015年4月28日火曜日

山形 黄花イカリソウ



花見会の2回目は、七ヶ宿から高畠方面に黄花のイカリソウを目的に出かけた。途中、白石の材木岩公園で1000本近くの鯉のぼりが泳ぐ所を見た。両岸に渡したケーブルに通してあるのだが、収まり切れないらしく道路にもケーブルを渡してぶら下げてあり、さながら立ち泳ぎ状態だった。
七ヶ宿街道沿いではヤマナシを見た。ここは、2年前にも来た所だ。実生から大きくなったものだそうだが。、昔話に出てくるヤマナシだ。美味しいのだろうか。
イカリソウは宮城での花は青紫だ。分水嶺を越え日本海側に入ると黄色になる。七ヶ宿から山形の上山にぬける羽州街道沿いの道端や高畠の観音岩で目にすることができた。

2015年4月15日水曜日

角田大萩山公園 桜

今年、蔵王町の刈田峰神社近くの方が主宰する花見会に入れて貰った。蔵王山をメインに隣県の里山の花をめぐるグループだ。今年は、噴火情報があり蔵王及び東山域には入らない。とても残念。
今年の初回は福島方面への桜めぐりだった。町内から白石市、福島に入り、伊達、福島、二本松、田村を回った。主に見て回ったのは山に自生し樹齢何百年にもなるエドヒガンやシダレザクラだ。モクレンやコブシも多かった。
写真は、角田から西根を通り白石に向かう街道沿いにある大萩山公園から蔵王をバックに見える桜の名所での一枚だ。生憎蔵王は雲に隠れ、見えているのは仙台の北方にある七ツ森あたりらしい。

2015年4月10日金曜日

愛犬デュカの埋葬

津波で命を落とした愛犬デュカを埋葬した。当時屋外の犬舎の柵の中にいた。私はトイレから出て窓の外に津波に覆われた水面を見た。咄嗟に廊下を走り二階に駆け上がった。
デュカよ、何とか無事でいてほしい。どこかに泳ぎ切って助かっていてほしいとの願いも空しく、一か月後、自宅裏の泥の中から遺体は見つかった。彼方此方探し仙台にあるペット葬祭場で火葬した。自宅の再建が終わったら敷地の片隅に埋葬しようと、骨壺に入れたまま離れに置いていた。
家を再建し、庭の樹木の植栽も済み、ようやくその時が来た。家の西側、北側のブロック塀の手前に50センチ程の穴を掘り埋葬した。花や樹木に囲まれた所だ。真上に大きな石を置いた。

2015年3月26日木曜日

庭作り開始


ようやく庭作りが始まった。義兄姉の応援をもらいながら丸森の造園業者に進めてもらった。家の東側にあった土砂を利用して築山を作り、嵩上げの擁壁の所には花壇を作った。
蔵王町の植木センターから仕入れたサツキを下に、ドウダンを上に配置した。築山にはシダレザクラを植えた。その他いただいたシャラの木や柘植を玄関脇に置き、メインの木とした。角田の家から持ってきたイチイその他多くの木も有効に使った。同じ開墾場のWさん宅からは庭石もいくつかいただき庭らしくなった。
このほか西側の空き地にシラカシとクロマツを防風林にすべく合わせて50本植えた。強い風を避けるまでには15年くらいはかかるそうだが楽しみだ。

2015年3月23日月曜日

吉田保育所

長瀞小学校の西隣に吉田保育所が完成落成した。シートを被った建設中は、屋根が円形でいったいどんな建物になるのだろうかと不思議に思っていた。長小の教頭さんに聞くと、設計者の遊び心でタコをイメージした作りなのだそうだ。できあがった写真(河北新報)を見ると、可愛らしい外観が子供たちを喜ばせそうだ。新学期を待たずに園児の登園が始まったようだ。また開墾場が少し賑やかになるようで嬉しい。

2015年3月14日土曜日

枯松伐採

震災後、西手の土手にあった松が次々に枯れた。すぐに枯れた数本は、その年の秋に杉の伐採時に切り倒した。その後も1本、また1本と枯れた。北西の角の松は2年以上が過ぎた。突然倒れては危険なので、春になる前にと角田にある森林組合に伐採を依頼した。
 で、今日の作業となった。手順は、まず木の幹に梯子をかけ高さ3m位にワイヤーをかけ、チェーンソーで切り込みを入れ、ワイヤーを引く。すると狙った方向に倒れる。次に手分けして適当な長さに切り分け、枝を落とし、積み上げると次第だ。
 今回、まだ緑の葉をつけていた2本も枯れが懸念される状態だったのでそれも切り倒した。で、西手に残るのは、欅2本と笹や竹だけとなった。少し寂しいが、倒れる心配が無くなったので、止むを得ない。

2015年3月3日火曜日

堤人形のひな人形

  日本三大泥人形の一つ、堤人形のひな飾りを飾った。仙台の学校に勤めていた時、製作者の芳賀さんの娘さんを受け持ち、その時に堤町の店に行って注文、だいぶ待って手に入れた。人形以外の緋毛氈や雪洞、屏風などは別に家内が買ってきた。(先日テレビで3年待ちの人気と紹介していた)
 津波の時は、幸いにも天袋に入れていたため被害を免れた。昨年3月末に亘理の新居に越してきたので、ここに飾るのは震災後初めてだ。写真を撮ろうとしたら、猫のミーが前に入ってきた。

2015年2月17日火曜日

長瀞小三松(みまつ)のスツール

うちの子供たちが通った長瀞小学校の校庭の真ん中に松が生えていた。初めは校庭の端にあったものが、校庭を拡張した際に真ん中に位置したものらしく、根元から3本に分かれているので三松と呼ばれていた。邪魔ではあるが、学校のシンボルでもあった。運動会にはこの木を真ん中にして、徒競走をしたり、騎馬戦などをした。
それが、津波で枯れてしまった。写真下は3月12日のものだ。地面はまだ水がたまっている。昨日「学び支援」で学校に行くと教頭先生がその松で作られたベンチを見せてくれた。シルバー人材センターに頼んで作ってもらったという。だいぶ大きな一枚板でできており、私の作ったテーブルより立派にできていた。写真上は、今日の河北新報に掲載された児童が座ってみた写真だ。

2015年2月3日火曜日

大雪

南岸低気圧の襲来により、太平洋沿岸にも降雪が予報されていた。昨日の昼頃から降り始め、夜半に相当降り積もった。今朝、玄関先で定規をあててみるとおよそ20㎝。このあたりでは大雪にあたる。雪掃きは、玄関先と勝手口をスコップで行うに止めた。広く行うには際限がないし、私の右腕の痛みがあるのだ。で、四駆の車を何度も往復して圧雪状態を作った。これで、歩くに支障なく、陽が射せば溶ける。2日後大方は溶けた。

大行院どんと祭

震災前はすぐ近くのお不動さんで消防団の方が立ち会ってどんと祭をしていた。そのお不動さんがなくなっている現状から、長瀞にある大行院で行うと、回覧板で知った。我が家の地鎮祭を執り行ってくれたところだ。自転車に正月飾りを持って出かけた。すぐ終わるかと思っていたが、装束を付けて法螺貝を吹き呪文を唱えてからの点火となり時間を要した。火に当たるとその年の健康が約束されると言われている。