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2017年5月1日月曜日

7年ぶりのタケノコご飯



7年ぶりのタケノコご飯。
去年、枯れてなくなったとばかり思っていた孟宗竹が1本出てきた。で、今年は震災前のように、いくつも芽を出した。早速1本を鍬で取り、料理してもらった。やはり自分で取ったタケノコは良い。次は、これも去年1個だけ実を付けた栗が楽しみだ。
庭には愛犬の墓の周りに植えた黄色いセンダイハギが花を付け始めた。

2017年4月16日日曜日

山下一小のサクラ



父を誘ってサクラを見に出かけた。
亘理公園と鹿島天足和気神社のソメイヨシノ、三品さん宅のシダレザクラ、尊久老稲荷神社の「種蒔桜」エドヒガンを見て、山下第一小学校に行った。

ここは、父の出身校であり、父と妻の勤務校でもあった。
なんでも戦後物資不足の折り、自慢のサクラを切り炭にして小学1、2年生の暖房に使ったそうだ。
その後、校歌にあるサクラがないとい言う児童の声を受けて新たにサクラを植えた。これが今見るサクラと言う。

なお、校歌は父が詩を書いた。これは、戦後校歌を作ろうと町民から詩を募集した。自分の母校であり、町民であったので応募したのだと言う。

2017年3月28日火曜日

防災広場に行ってみた

月に一度の新聞配達の途中に出来たばかりの防災広場、避難道路に寄ってみた。

▶ 地区の避難場所は国道6号を越えた先の高台にある吉田小学校。その国道の手前、避難道路脇に広い駐車場とトイレ、ベンチ、水飲み場ができた。ここは1次避難所、状況を見て国道を越え2次避難所の吉田小学校に行くことになる。

▶ 去年の11月の津波の時は、吉田中学校前から西に伸びるこの道は、吉田小学校への最短経路だが、まだ工事中で通行できなかった。そのため、避難所の吉田小学校へは一つ南か北の道をう回するしかなかった。
大震災直後の2011年4月の津波注意報の時、我が家は角田市に仮住まいだったが、あちこちで渋滞が発生したと聞いた。だから私はその渋滞を避けるために、信号があり渋滞の心配の少ない荒浜街道を抜け、亘理中学校に避難した。

▶ そんなわけで、渋滞の心配なく避難できるこの避難道路と防災広場はありがたい。さらにここは津波が到達しなかった地点なのでなおさらだ。元々この道は、対向車が来ると徐行が必要なほどの狭い道だった。工事で安心してすれ違える幅になり、広い歩道も出来た。
▷ 写真の先が私の住む開墾場あたりだ。

2015年4月10日金曜日

愛犬デュカの埋葬

津波で命を落とした愛犬デュカを埋葬した。当時屋外の犬舎の柵の中にいた。私はトイレから出て窓の外に津波に覆われた水面を見た。咄嗟に廊下を走り二階に駆け上がった。
デュカよ、何とか無事でいてほしい。どこかに泳ぎ切って助かっていてほしいとの願いも空しく、一か月後、自宅裏の泥の中から遺体は見つかった。彼方此方探し仙台にあるペット葬祭場で火葬した。自宅の再建が終わったら敷地の片隅に埋葬しようと、骨壺に入れたまま離れに置いていた。
家を再建し、庭の樹木の植栽も済み、ようやくその時が来た。家の西側、北側のブロック塀の手前に50センチ程の穴を掘り埋葬した。花や樹木に囲まれた所だ。真上に大きな石を置いた。

2015年3月26日木曜日

庭作り開始


ようやく庭作りが始まった。義兄姉の応援をもらいながら丸森の造園業者に進めてもらった。家の東側にあった土砂を利用して築山を作り、嵩上げの擁壁の所には花壇を作った。
蔵王町の植木センターから仕入れたサツキを下に、ドウダンを上に配置した。築山にはシダレザクラを植えた。その他いただいたシャラの木や柘植を玄関脇に置き、メインの木とした。角田の家から持ってきたイチイその他多くの木も有効に使った。同じ開墾場のWさん宅からは庭石もいくつかいただき庭らしくなった。
このほか西側の空き地にシラカシとクロマツを防風林にすべく合わせて50本植えた。強い風を避けるまでには15年くらいはかかるそうだが楽しみだ。

2015年3月23日月曜日

吉田保育所

長瀞小学校の西隣に吉田保育所が完成落成した。シートを被った建設中は、屋根が円形でいったいどんな建物になるのだろうかと不思議に思っていた。長小の教頭さんに聞くと、設計者の遊び心でタコをイメージした作りなのだそうだ。できあがった写真(河北新報)を見ると、可愛らしい外観が子供たちを喜ばせそうだ。新学期を待たずに園児の登園が始まったようだ。また開墾場が少し賑やかになるようで嬉しい。

2015年3月14日土曜日

枯松伐採

震災後、西手の土手にあった松が次々に枯れた。すぐに枯れた数本は、その年の秋に杉の伐採時に切り倒した。その後も1本、また1本と枯れた。北西の角の松は2年以上が過ぎた。突然倒れては危険なので、春になる前にと角田にある森林組合に伐採を依頼した。
 で、今日の作業となった。手順は、まず木の幹に梯子をかけ高さ3m位にワイヤーをかけ、チェーンソーで切り込みを入れ、ワイヤーを引く。すると狙った方向に倒れる。次に手分けして適当な長さに切り分け、枝を落とし、積み上げると次第だ。
 今回、まだ緑の葉をつけていた2本も枯れが懸念される状態だったのでそれも切り倒した。で、西手に残るのは、欅2本と笹や竹だけとなった。少し寂しいが、倒れる心配が無くなったので、止むを得ない。

2015年3月3日火曜日

堤人形のひな人形

  日本三大泥人形の一つ、堤人形のひな飾りを飾った。仙台の学校に勤めていた時、製作者の芳賀さんの娘さんを受け持ち、その時に堤町の店に行って注文、だいぶ待って手に入れた。人形以外の緋毛氈や雪洞、屏風などは別に家内が買ってきた。(先日テレビで3年待ちの人気と紹介していた)
 津波の時は、幸いにも天袋に入れていたため被害を免れた。昨年3月末に亘理の新居に越してきたので、ここに飾るのは震災後初めてだ。写真を撮ろうとしたら、猫のミーが前に入ってきた。

2015年2月17日火曜日

長瀞小三松(みまつ)のスツール

うちの子供たちが通った長瀞小学校の校庭の真ん中に松が生えていた。初めは校庭の端にあったものが、校庭を拡張した際に真ん中に位置したものらしく、根元から3本に分かれているので三松と呼ばれていた。邪魔ではあるが、学校のシンボルでもあった。運動会にはこの木を真ん中にして、徒競走をしたり、騎馬戦などをした。
それが、津波で枯れてしまった。写真下は3月12日のものだ。地面はまだ水がたまっている。昨日「学び支援」で学校に行くと教頭先生がその松で作られたベンチを見せてくれた。シルバー人材センターに頼んで作ってもらったという。だいぶ大きな一枚板でできており、私の作ったテーブルより立派にできていた。写真上は、今日の河北新報に掲載された児童が座ってみた写真だ。

2015年2月3日火曜日

大雪

南岸低気圧の襲来により、太平洋沿岸にも降雪が予報されていた。昨日の昼頃から降り始め、夜半に相当降り積もった。今朝、玄関先で定規をあててみるとおよそ20㎝。このあたりでは大雪にあたる。雪掃きは、玄関先と勝手口をスコップで行うに止めた。広く行うには際限がないし、私の右腕の痛みがあるのだ。で、四駆の車を何度も往復して圧雪状態を作った。これで、歩くに支障なく、陽が射せば溶ける。2日後大方は溶けた。

大行院どんと祭

震災前はすぐ近くのお不動さんで消防団の方が立ち会ってどんと祭をしていた。そのお不動さんがなくなっている現状から、長瀞にある大行院で行うと、回覧板で知った。我が家の地鎮祭を執り行ってくれたところだ。自転車に正月飾りを持って出かけた。すぐ終わるかと思っていたが、装束を付けて法螺貝を吹き呪文を唱えてからの点火となり時間を要した。火に当たるとその年の健康が約束されると言われている。

2014年10月26日日曜日

バルーンフェスティバル

雲も風もない絶好のお天気の元バルーンフェスティバルがあった。前に回覧板で知り楽しみにしていた。
朝6時前から、スタッフや搭乗希望者の車が沢山集まっているのが窓から見えた。全部で3つ、四方の車のロープが気球をつないでいる。熱気球は佐賀県で開かれる大会の様子をテレビのニュースで何回か見たことがある。復興を後押ししようと被災地で揚げられるようになり、亘理町では2回めだそうだ。旧校庭が会場なので見に行った。相当な大きさだ。300名が搭乗したそうで、何回も何回も上下を繰り返していた。来年も来るらしい。今度は荒浜あたりだろうか。

2014年10月12日日曜日

安部首相が長瀞小に来た

安部首相が長瀞小学校に来ると聞き、家内と二人で見に行った。門のところで警備のSPの人から体育館の入り口前まで入って良いと聞いた。すでに開墾場の人たち30人くらいが列になっていた。予定時刻になり黒塗りの車の一団が西の道路から曲がってくるのが見えた。校門から入ってきた車列が目の前を通り過ぎたがそれらしき車はカーテンが引いてあり見えない。校舎前に着くと、6年生が「安部首相 新しい校舎をありがとうございます。」の文字板を掲げて出迎えた。この後、西側の非常階段から屋上にあがったようだ。姿は見えないが、警備の人の動きでそれと分かる。最後に校舎前の遊具の所で子供たちと記念撮影があった。ついでに、私たちの所でも写真におさまってくれた。その後皆が並ぶところを握手をしながら間近を歩いてくれた。私もさっと手を伸ばし「亘理までありがとうございます。」と言って、握手をさせていただいた。

2014年10月11日土曜日

荒浜港水産まつり

4年ぶりに復活したあらはま港水産まつりに、家内と行ってみた。新聞などで、元の漁協のあたりに産直施設も兼ねた「きづなポートわたり」が出来たことを聞いていたが、案内された空き地の駐車場に車を止め歩いていくと、あちこちに新しい建物が見える。岸壁のところには大きな建物がたっており「荷捌き場」とあった。その向かいにははらこ飯のフラミンゴの店もできていた。まつり会場に向かうとなにやら長蛇の列が出来ていた。私たちもまず列の後ろに着いた。聞くとはらこ飯総選挙の投票券の配布らしい。待つ間前後の人と立ち話をした。券を貰い、建物内で一箱千円のカレイを買い、まつりの休憩場所の方に歩いた。するとそこに高校大学と一緒にすごした逢隈に住むH君であった。数年ぶりの再開だった。11時になり、はらこ飯総選挙が始まった。各店毎の列に並び一番前に行くと、券にチェックが付けられ一口大の試食を貰った。全部の店をまわるのは大変と思っていたが、結局小1時間ですべてまわり味わうことができた。店ごとに味付けが違っていたり、はらこの具合やご飯、鮭の身の盛り付け方に違いがあり、来て良かったと思った。家の分と、家内の実家分を買い求め家路に着いた。

2014年10月8日水曜日

皆既月食

またとない雲一つない上天気のもと、皆既月食を見た。夕食後食器洗いを急いで済ませ外に出た。東の樹間月が見えた。次第に明るく光る部分が狭くなっている様子を観察し続けた。デジカメで撮ろうと一脚で構えたが、ピント合わせが出来ないのであきらめた。皆既状態になって外気が冷んやりしてきたので、2階の部屋に入った。ちょうど東に窓があり、ベッドに寝転んだまま眺めることができた。
 昨年だったか、日食の時は水面に墨汁を落として反射させるなど待ち構えていたが、肝心の天気が味方せず空振りだった。また、もう少し前のなんとか彗星も大分長い時間待っていたが確認できなかった。だから、今日は初めてだったかも知れない。写真撮影に関しネットで調べたら、単眼鏡とデジカメを組み合わせる方法が簡単らしい。それより普段使っているパナソニックのデジカメに星空を写すシーン選択があった。これなら、うまく写せたかもしれない。

2014年9月24日水曜日

3輪咲きコスモス

妻に呼ばれて行ってみてびっくり。1つの茎にコスモスの花が3輪咲いている。咲き終わったのを1輪1輪鋏で切っていて見つけた由。
実にきれいだ。

2014年9月22日月曜日

コスモス

妻が花をさまざま植えている。昨年も角田からやってきて手入れをしていた。今年は、新築祝いに姪が花の種をたくさん贈ってくれたこともあり、さらに色とりどりの花々が目を楽しませてくれています。
 今一番の花はコスモスです。写真は道路沿いのものですが、家の前も畑も、離れの裏も満開です。今のところ、大風や大雨の影響もなく倒伏することなく良い感じです。

2014年9月20日土曜日

長瀞小運動会

新聞記事から転載
震災後3年半、わが家の子供たちが通った長瀞小学校で運動会が開かれた。朝6時半に何発も花火があがり、予定通りの開催となった。校舎が鐙川の西になり、進行のスピーカーの音は小さくなった。
10時過ぎ家の裏手の道を歩き見に行った。震災前にあった地区毎のテントはなかったものの、トラックを囲む児童席、保護者や地区の人々、青のジャージを着た中学生と、なんとも賑やかだった。河北新報の記事によると吉田東部町づくり協議会による餅まきも行われたようだ。私は先週から、月曜と木曜の午後に児童のスクールバス乗車の補助の活動をしている。地域の役に立つのはうれしいものだ。