2017年5月18日木曜日

愛敬院のヒメシャガ、森林浴




思い立って丸森にある本山修験道の愛敬院のヒメシャガを見てきた。境内いっぱいにアヤメに似た薄水色の花が一面に広がる。先日見た山形路の白いシャガとは又違う。この後不動尊公園内の内川沿いの遊歩道を2.2キロ先の清滝方面に歩いた。結構長く歩いたと思ったのに目的地まで1.5キロの表示があった。で、引き返した。車に戻る前に、近くの店でヒメシャガの苗を買った。
▶帰り道、四方山展望台に寄り、藤棚の下で握り飯を食べた。3年間の避難生活を過ごした西側の角田盆地と東側の亘理平野の開墾場の長瀞小学校辺りを写真に撮った。

2017年5月15日月曜日

今日の観察会、お目当ての山形のヤマフジはまだだった



きょうは観察会。この時期、山形路は見事なヤマフジがあちこちに見えられるはず。が、空振りだった。まだ花が出ていない。そういえば、数日前に山形肘折温泉の朝市がニュースで流れた。例年より遅い山菜がようやく出始まった、と言っていた。
▶途中立ち寄った観音岩の山道や車窓からの花々を楽しんだ。昼食場所にしようと向かった鳩峰峠への道は工事で通行止めで、ゲート脇でおにぎりを食べた。
▶観察した植物は、シロフジ、ウツギ、ヤエムグラ、ムラサキケマン、サワギキョウ、オオタチツボスミレ、トウホクサイシン、エンレイソウ、サンショウ、トリアシハンショウヅル、コンロンソウ、ヨコグラノキ、キズタ、ツルマサキ等。あちこちで真っ白いウワズミザクラもきれいだった。
▶今日の夕食のおかずは、庭のタラノメと採取したサワオグルマ、コシアブラ、タカノツメの天ぷらを妻が作ってくれた。明日はヤマドリゼンマイ、ワラビを食べよう。

2017年5月1日月曜日

7年ぶりのタケノコご飯



7年ぶりのタケノコご飯。
去年、枯れてなくなったとばかり思っていた孟宗竹が1本出てきた。で、今年は震災前のように、いくつも芽を出した。早速1本を鍬で取り、料理してもらった。やはり自分で取ったタケノコは良い。次は、これも去年1個だけ実を付けた栗が楽しみだ。
庭には愛犬の墓の周りに植えた黄色いセンダイハギが花を付け始めた。

2017年4月22日土曜日

旭山桜も満開です

去年娘からもらった旭山桜も満開になりました。2年目に咲かせるのは難しいのよ、と妻は自慢げでした。

2017年4月19日水曜日

福島県北の満開のサクラ

合戦場のシダレザクラ
中島の地蔵ザクラ
駒ザクラ
二本松と川俣で満開のサクラを見た。
▶合戦場のシダレザクラ。八幡太郎義家と安倍貞任・宗任との合戦場と伝わる地に立つ2本のベニシダレザクラ。「三春の滝桜」の孫桜と言われており、滝が落ちるような見事な紅の花を咲かせる。推定樹齢は170年。
中島の地蔵ザクラ。ベニシダレザクラで推定樹齢150年。水面に映る姿も美しい。
▶秋山の駒ザクラ。500年以上のエドヒガン。

2017年4月18日火曜日

ラスコー展を見た

利府の海

ラスコー展
大学時代の先輩を利府町のアトリエに訪ねた。
4年先輩だが、度々でスキーに誘ってくれた。また、教員2年目には、奥さんも2年上の方だったが、旦那の鼎が浦女子高への転勤に伴って私と同じ唐桑中学校に配属されたのだ。そんなに大きな学校ではなかったので、美術教員2人は多すぎる。で、私が先に転出となった。学校近くの先輩のお宅には度々お邪魔したりした。思えば、いろいろお世話になったと思う。そんな感謝の気持ちを伝えたいと思ったのだ。

利府と言っても県民の森がある内陸部の方でなく、海から100m位しか離れていない。やはり震災では、床上浸水となって大変だったらしい。その他諸々2時間ばかり話をして、辞去した。

帰りに、東北歴史博物館で開かれている「ラスコー展」を見た。
精緻な洞窟壁画で知られる。展示物を見て改めて知ったことがあった。一つはクロマニヨン人は現代人と同じホモサピエンスであること。DNAの分析でわかったそうだ。それから、動物の彩色には岩石から作った絵具である顔料を使っていたことだ。洞窟の床面にあったそうだ。
それから、もしかすると彼らの残したような造形物が日本にもあったかも知れないと言う。だが、残念なことに高温多湿な環境では残りえなかったと言う。ロマン膨らむ展示であった。

わが家のサクラも満開



2017年4月16日日曜日

山下一小のサクラ



父を誘ってサクラを見に出かけた。
亘理公園と鹿島天足和気神社のソメイヨシノ、三品さん宅のシダレザクラ、尊久老稲荷神社の「種蒔桜」エドヒガンを見て、山下第一小学校に行った。

ここは、父の出身校であり、父と妻の勤務校でもあった。
なんでも戦後物資不足の折り、自慢のサクラを切り炭にして小学1、2年生の暖房に使ったそうだ。
その後、校歌にあるサクラがないとい言う児童の声を受けて新たにサクラを植えた。これが今見るサクラと言う。

なお、校歌は父が詩を書いた。これは、戦後校歌を作ろうと町民から詩を募集した。自分の母校であり、町民であったので応募したのだと言う。

2017年4月14日金曜日

亘理サクラも満開になった


先日知った町内神宮寺の米山さん宅のサクラを見に出かけた。亘理公園で自転車を下し、10分くらいか。庭先にあるシダレザクラは樹齢350年とか。赤とピンクの咲き分けのツバキと対照的だった。その先のリンゴ畑へ向かう小道にカタクリやイチリンソウがそこかしこに花を見せていた。

▶亘理公園に戻り、園内の散策道を一周。好きなサクラの一つのヤマザクラが雑木林の中にあった。

▶震災前のわが家には3つのサクラがあった。1つは母屋の真ん前にソメイヨシノ。2つ目は木小屋の前に八重桜。3つ目が竹やぶの隅のヤマザクラの大木だった。
樹木や花に囲まれた家が好きなので、2年前にシダレザクラの若木を植えた。春先のこの辺は浜風のせいで気温が低く、毎日のように強い風が吹く。わが家のサクラもようやく花を開き始めた。

2017年4月8日土曜日

初めてのトラクター


初めてのトラクター。3年前角田から開墾場に戻った際に、自宅再建の祝いに頂いた中古品だ。やっと義兄に操作を教わった。
▶タイヤに空気を入れ、軽油を買ってきてタンクに入れた。トラクタは、あちこちにレバーやら何やらがあり、簡単に言うと戦車と同じような仕組みらしい。
▶エンジンのかけ方、レバーの入れ方、ローターの上げ下ろしを教わり、畑を耕した。おそらく作業は小一時間位だろうが、かなり疲れた。

蛭塚植樹祭に参加した





写真上は下枝空撮写真部屋からお借りした阿武隈川河口にある潟湖「鳥の海」と中央にある島「蛭塚」だ。藩政時代は伊達の殿様の保養地だったらしい。荒浜の御狩屋(地名)から橋が架けられ渡ることができた。
樹木が生い茂り、海水が混じる水域もある貴重な所だった。
震災後に行ってみたら、橋には車が引っ掛かり、ガレキで埋まっていた。
▶6年が経過し県の事業で整備され、植樹祭が催された。県知事(代理)、町長、グリーンベルトプロジェクト理事3名がセレモニーを行い、その後私を含め100人ほどの参加者がグループに分かれシラカシ等の苗木を植えた。10年、20年後の成長した姿が楽しみだ。

堤防を走ってみた


開墾場の直東の避難丘はシンプルで吉田浜のようなトイレは当然として、駐車スペースも整備されてなかった。もう一つ北の鳥の海側の避難丘に寄り、海に出てみた。
前回来たのは、ロックフィルダムのような大きな砕石による仮堤防の時だった。今回、下の写真のように堅牢な作りの堤防に変わっていた。高さも幅も十分で安心感がある。
堤防上は自転車なら走れるように真っ平なので、山元町側の牛橋河口まで快適に走ることができた。吉田東部まちづくり協議会内で話題に上がる「鳴り砂」の浜は、流木やごみで汚れていた。

2017年4月5日水曜日

ツバキが美しかった

今年初めての観察会は、ツバキがメインだった。蔵王町や白石市等いたる所にあり、中には大木も多数あった。赤花が大半だが白花もあった。実を一つ拾い、家に帰って植えた。芽を出すだろうか。
白石城ではセイヨウシャクナゲが赤い花を咲かせ始めていた。
福島に入り、桑折町の半田山自然公園の林の中は、一面にショウジョウバカマが広がり、一輪だけ花を開かせていた。
国見町三吉神社では、参道階段脇にキズタが植えられ、社には氏子たちが綯ったという大きなしめ縄が祭られていた。
今回の昼食場所は、冬に鯉を取ることで知られる白石市馬牛沼畔。食べ終わって下を見たら、フキノトウがあちこちにあり、採取し夕食に天ぷらで食べた。
蔵王町に戻り、街道沿いなどでシキミやアズマイチゲ、だるま杉を見た。

2017年3月28日火曜日

防災広場に行ってみた

月に一度の新聞配達の途中に出来たばかりの防災広場、避難道路に寄ってみた。

▶ 地区の避難場所は国道6号を越えた先の高台にある吉田小学校。その国道の手前、避難道路脇に広い駐車場とトイレ、ベンチ、水飲み場ができた。ここは1次避難所、状況を見て国道を越え2次避難所の吉田小学校に行くことになる。

▶ 去年の11月の津波の時は、吉田中学校前から西に伸びるこの道は、吉田小学校への最短経路だが、まだ工事中で通行できなかった。そのため、避難所の吉田小学校へは一つ南か北の道をう回するしかなかった。
大震災直後の2011年4月の津波注意報の時、我が家は角田市に仮住まいだったが、あちこちで渋滞が発生したと聞いた。だから私はその渋滞を避けるために、信号があり渋滞の心配の少ない荒浜街道を抜け、亘理中学校に避難した。

▶ そんなわけで、渋滞の心配なく避難できるこの避難道路と防災広場はありがたい。さらにここは津波が到達しなかった地点なのでなおさらだ。元々この道は、対向車が来ると徐行が必要なほどの狭い道だった。工事で安心してすれ違える幅になり、広い歩道も出来た。
▷ 写真の先が私の住む開墾場あたりだ。

2017年3月14日火曜日

町道が付け替えになった

常磐線沿いの町道が付け替えになった。大分前から田んぼの中に新しい道路が作られており、いつになったら通行できるのかと思っていた。すると、「町道付け替えを知らせる看板」ができた。将来の町役場に向かう新しい道だった。
 ▶唐屋敷から右に大きくカーブして進むと、以前からできていた橋に直結する。元の道(赤い➡のガードレールの向こう)は3月10日から廃止され通れなくなった。だから、踏切を渡って町の中心部、亘理幼稚園や佐藤製線の方に行くには橋の直前の交差点で左折することになる。つまり、三角形の一辺を通れば良かったのが二辺を通らねばならなくなったのだ。
 ▶ならば、朝夕の混む時間は別として、橋をそのまま通って荒浜街道との交差点まで直進する。そこで左折すれば町の中心部へ、直進すれば役場予定地へ、右折すれば生協や荒浜方面へ行くことができる。少し遠回りになるが、便利になったのか・・・悩ましいところだ。

2017年3月12日日曜日

丸森鹿島神社奉射祭(やぶさめ)

 3月12日、丸森町小斎の鹿島神社の奉射祭(やぶさめ)を見た。
創建が111年ととても歴史ある神社で、江戸時代の領主が始めて400年近くになるそうだ。騎馬姿が普通だが、ここでは立ち姿で矢を放つ。
  9時過ぎ、水垢離が始まった。射手となる若者が下帯姿で水をかぶり、身を清めた。開会式、お祓いの後、女児4名の巫女舞があった。次に白紙で目隠しをした神官が矢を放ち、的への当たり方で一年の月ごとの天候を占った。
 いよいよ注目の五穀豊穣と区内の安全を祈願する神事だ。総勢10名が横一列に並び、次々と18m離れた大的(おおまと)に矢を放つ。「当たりー」の声が響いた。次は28mと遠くに見える小的を狙う。的は、害鳥のかりがねが描かれている。今回は100本中25本の当たりだった。
 この行事は、一時途絶えていたが町おこしの一環で再開されて27回目になるそうだ。私は、震災の年に丸森町で臨時職の仕事をいただいていた。当時世話になった教育長、課長に挨拶することができた。また、大学一年の時、弓道部に入ろうかと一日体験の経験があり、当時を思い出しながら楽しいひと時を過ごすことができた。

















2017年3月10日金曜日

植木手入れ研修会参加

亘理中央公民館で開かれた植木手入れ講習会に参加した。町内の植木屋さんが講師でまず1時間ほどの座学だ。刈込挟の使い方、研ぎ方や脂取りなどの手入れを学んだ。                        ▶次に外に移動して実習だ。町民体育館の西側で国道に面している所が会場だ。仕上がりのラインを想定しながら鋏を使う。きれいに仕上げるために太い枝は、5~6㎝深く切る。同じ所で切るとそこから細い枝が出てきてバランスを崩すらしい。枯れ枝を取ったりして、陽が当たり、風が入るように、スカスカに仕上がるようにするのが肝らしい。また、足もとをきれいにするのも、庭の美しさにつながることも教えられた。                        ▶申し込む際に事務局から剪定鋏を持参するよう指定された。刈込鋏はなかったので講師のを借りた。驚いたのは、その鋏は二枚の刃の隙間が大きく開いていて、両の手で切り口を合わせて、いかにもそうなっていたかのように切っていた。真似しても、ちょっとやそっとでは上手く出来なかった。                                                  ▶今回の参加者は40名、そのうち30名はシルバー人材センターの人たちだった。彼らのスキルアップがメインの講習会らしい。私のような一般参加は10名だった。講習会は、内容を少しずつ代えて毎年しているようだ。10時に始まり、昼食をはさんで15時前に終了した。我が家の植木の剪定は、数年前から丸森の方にしてもらっている。経費節減のためにも自分でもある程度出来るようにしておきたいと思っている。      





2017年3月8日水曜日

相馬鎮魂記念館 常磐線山下駅 吉田浜堤防

 久しぶりの投稿。
吉田東部まちづくり協議会の研修で、福島県相馬市に出かけた。本来は昨年11月22日に計画されていたが、福島沖を震源とする地震、津波で中止になっていた。
これに変わるものとして昨日3月8日に計画された。
常磐線浜吉田駅に9時50分に集合。12月に再開されたばかりの路線で相馬駅へ。そこで待たせていたバスに乗車。まずは、市内を走り6号線沿いの「道の駅相馬」に寄った。
この後、松川浦方面へ。海が近くなると「ここまで浸水域」の表示が見えてきた。先日河北新報の記事に出ていた松川浦大橋を過ぎ、港の方に向かった。
「鎮魂記念館」で、当日の生々しい映像を見た。私の体験したものとは異なる緊迫感があった。館の外に津波に耐えて生き残ったフジ棚があった。
 相馬港を右横に見ながら、鹿狼山方面に向かう。途中、火力発電所の煙突が見えた。ここは、我が家の近くからも見えるランドマークだ。手前に震災後に出来たであろう太陽光発電のパネルが広がっていた。
鹿狼山は相馬市民にとってのふるさとの山だ。元日登山が恒例で、ご来光を拝むのだそうだ。「鎮魂の鐘」が設置してあるという。その麓の店で蕎麦を食べた。

帰りは、海沿いを走る。
まずは、新しくなった「常磐線坂元駅」、宮城病院脇の新しい住宅地、そして「山下駅」だ。
真新しい駅舎前のスーパーの壁面に、キリコの技法を使った壁画があった。地元の方たちの原画をプロの作家が表現したものだそうだ。
最後に、吉田浜に寄った。メンバーの一人が理事を務めるグリーンベルトという特定非営利法人が植林をしている所だ。私も2度ばかり参加した。
堤防の下に広がる鳴り砂の浜。はるか向こうは行ってきたばかりの相馬の辺りだ。