2014年4月27日日曜日

製材された板が届いた

100年以上前からこの開墾場集落に住むわが家には竹林と杉林のイグネがあった。津波の塩害で枯れた杉やケヤキ、桜の木を活用したいと角田市のW製材に加工を依頼していた。震災の年に伐採した杉は主に塀や整理棚を作り、5年ばかり前に伐採し乾燥させていたケヤキでは座卓を作りたい。
昨年家の建築のために伐採したケヤキや桜は厚さ15センチ程に挽き何年か後に使えるようにとって置く。
 震災前およそ100軒あった開墾場は私の家が戻って62軒目と区長さんに聞いた。ちょっとさびしい話だが、建設中の小学校はこの2学期に仮校舎の吉田中から戻る。明るい話題だ。

2014年4月26日土曜日

お地蔵さんが披露された

東日本大震災では、わが亘理町でも多くの命が失われた。幸い私は自宅が海から2キロと離れていたこと、津波の水面を窓外に見て即座に2階に駆け上がれたことで助かった。先月末には嵩上げした家も完成し、避難していた角田市から家族3人戻ってくることができた。
 今日は、山形県の曹洞宗の団体から寄贈された母子3体のお地蔵さんの建立披露がすぐ北にある長瀞小の旧校庭であった。町長や当時の農水大臣らがテープカットをした。ハード面の復興の進行に合わせ、心の復興も進むことを期待したい。
このブログは以前のSフィールドに同様に、復興と日常のあれこれを綴っていく。

2014年4月13日日曜日

父は91歳

父は今日で91歳になる。元気でこの日を迎え、有難いことに震災から3年の角田での避難生活を乗り切り、新居で暮らせることになった。町内の寿司店でささやかな祝いの食事となった。
薬はいろいろ飲んでいるし、足腰も大分弱くなってきた。しかし、身の回りのことは自分で全部する。近くまで自転車に乗って出かけることもできる。この分だと、百歳の長寿も大丈夫ではないかと思う。

2014年4月10日木曜日

角田からの引っ越し

布団や鍋釜、食器は3月25日に済ませたが、タンスや冷蔵庫などの大物の引っ越しは業者に
来て貰い、4月10日の作業となった。
都合3名での作業だ。リーダーの的確な指示があり、実に見事な仕事ぶりだ。よくテレビのコマーシャルでみるとおりだ。
外回りのものは運んでいない。草花もできれば運びたい。掃除もある。そのため電気と水道は今月末まで止めないことにした。

2014年4月4日金曜日

雨が降ると…

庭には砕石をだいぶ入れたが、やはり雨が沢山降ると低いところに水溜りができる。赤いコーンの見える所は、壊れたままの井戸のあたりだ。南の畑もガレキの除去や除塩作業で土が足りなくなってしまった。
この畑、昨年夏は毎日のように角田から通って草刈りをした。今年は、ソバを植えるから貸してほしいと言う人が出てきた。辛い草刈りから開放されそうだ。

2014年4月2日水曜日

中古のトラクター

引っ越しと新築の祝いに妻の実家の兄姉がお祝いにとトラクターをプレゼントしてくれた。中古だが、やはり耕す威力はたいしたものだ。主に妻が使うことになるが、まずは操作を覚えることが肝心だ。