2014年11月2日日曜日

ユーゴー・ジャズ・フェスティバル

弟に誘われ、秋田県羽後町で開かれたユーゴー・ジャズ・フェスティバルに出かけた。途中、紅葉の名所小安峡に寄った。その後西馬内盆踊りのメイン会場に案内され、そこで浴衣を作ったという呉服屋さんに寄った。御主人に色鮮やかな藍染めを見せていただき魅了された。このジャズフェスは秋田時代の仲間たちが企画・出演にかかわっているしている音楽イベントということだ。PJQというバンドに続いて、西馬内盆踊りに触発されて作ったという曲を着物姿で迫力ある歌声を場内いっぱいに響かせる水上まりという歌手には圧倒された。夜11時に仙台の姉の家に着き、置いていた車に乗り換え深夜0時に帰宅した。

2014年11月1日土曜日

県美ミレー展開会式



日本人にとても人気のある画家ミレー展の開会式に出かけた。出席者にのみが貰える図録に惹かれた。ミレーの作品の所蔵で知られる山梨県美術館の方の挨拶などの後テープカットがあり、作品観覧となった。よく知れれる落穂ひろいなどの作品だけでなくそれ以前の肖像画など80点の作品を堪能した。
ちょうど紅葉のきれいな季節で、エントランスから前庭は建物、屋外彫刻、紅葉が見事にマッチした景色を見せていた。

2014年10月26日日曜日

バルーンフェスティバル

雲も風もない絶好のお天気の元バルーンフェスティバルがあった。前に回覧板で知り楽しみにしていた。
朝6時前から、スタッフや搭乗希望者の車が沢山集まっているのが窓から見えた。全部で3つ、四方の車のロープが気球をつないでいる。熱気球は佐賀県で開かれる大会の様子をテレビのニュースで何回か見たことがある。復興を後押ししようと被災地で揚げられるようになり、亘理町では2回めだそうだ。旧校庭が会場なので見に行った。相当な大きさだ。300名が搭乗したそうで、何回も何回も上下を繰り返していた。来年も来るらしい。今度は荒浜あたりだろうか。

2014年10月12日日曜日

安部首相が長瀞小に来た

安部首相が長瀞小学校に来ると聞き、家内と二人で見に行った。門のところで警備のSPの人から体育館の入り口前まで入って良いと聞いた。すでに開墾場の人たち30人くらいが列になっていた。予定時刻になり黒塗りの車の一団が西の道路から曲がってくるのが見えた。校門から入ってきた車列が目の前を通り過ぎたがそれらしき車はカーテンが引いてあり見えない。校舎前に着くと、6年生が「安部首相 新しい校舎をありがとうございます。」の文字板を掲げて出迎えた。この後、西側の非常階段から屋上にあがったようだ。姿は見えないが、警備の人の動きでそれと分かる。最後に校舎前の遊具の所で子供たちと記念撮影があった。ついでに、私たちの所でも写真におさまってくれた。その後皆が並ぶところを握手をしながら間近を歩いてくれた。私もさっと手を伸ばし「亘理までありがとうございます。」と言って、握手をさせていただいた。

2014年10月11日土曜日

荒浜港水産まつり

4年ぶりに復活したあらはま港水産まつりに、家内と行ってみた。新聞などで、元の漁協のあたりに産直施設も兼ねた「きづなポートわたり」が出来たことを聞いていたが、案内された空き地の駐車場に車を止め歩いていくと、あちこちに新しい建物が見える。岸壁のところには大きな建物がたっており「荷捌き場」とあった。その向かいにははらこ飯のフラミンゴの店もできていた。まつり会場に向かうとなにやら長蛇の列が出来ていた。私たちもまず列の後ろに着いた。聞くとはらこ飯総選挙の投票券の配布らしい。待つ間前後の人と立ち話をした。券を貰い、建物内で一箱千円のカレイを買い、まつりの休憩場所の方に歩いた。するとそこに高校大学と一緒にすごした逢隈に住むH君であった。数年ぶりの再開だった。11時になり、はらこ飯総選挙が始まった。各店毎の列に並び一番前に行くと、券にチェックが付けられ一口大の試食を貰った。全部の店をまわるのは大変と思っていたが、結局小1時間ですべてまわり味わうことができた。店ごとに味付けが違っていたり、はらこの具合やご飯、鮭の身の盛り付け方に違いがあり、来て良かったと思った。家の分と、家内の実家分を買い求め家路に着いた。

2014年10月8日水曜日

皆既月食

またとない雲一つない上天気のもと、皆既月食を見た。夕食後食器洗いを急いで済ませ外に出た。東の樹間月が見えた。次第に明るく光る部分が狭くなっている様子を観察し続けた。デジカメで撮ろうと一脚で構えたが、ピント合わせが出来ないのであきらめた。皆既状態になって外気が冷んやりしてきたので、2階の部屋に入った。ちょうど東に窓があり、ベッドに寝転んだまま眺めることができた。
 昨年だったか、日食の時は水面に墨汁を落として反射させるなど待ち構えていたが、肝心の天気が味方せず空振りだった。また、もう少し前のなんとか彗星も大分長い時間待っていたが確認できなかった。だから、今日は初めてだったかも知れない。写真撮影に関しネットで調べたら、単眼鏡とデジカメを組み合わせる方法が簡単らしい。それより普段使っているパナソニックのデジカメに星空を写すシーン選択があった。これなら、うまく写せたかもしれない。

2014年9月24日水曜日

3輪咲きコスモス

妻に呼ばれて行ってみてびっくり。1つの茎にコスモスの花が3輪咲いている。咲き終わったのを1輪1輪鋏で切っていて見つけた由。
実にきれいだ。

2014年9月22日月曜日

コスモス

妻が花をさまざま植えている。昨年も角田からやってきて手入れをしていた。今年は、新築祝いに姪が花の種をたくさん贈ってくれたこともあり、さらに色とりどりの花々が目を楽しませてくれています。
 今一番の花はコスモスです。写真は道路沿いのものですが、家の前も畑も、離れの裏も満開です。今のところ、大風や大雨の影響もなく倒伏することなく良い感じです。

2014年9月20日土曜日

長瀞小運動会

新聞記事から転載
震災後3年半、わが家の子供たちが通った長瀞小学校で運動会が開かれた。朝6時半に何発も花火があがり、予定通りの開催となった。校舎が鐙川の西になり、進行のスピーカーの音は小さくなった。
10時過ぎ家の裏手の道を歩き見に行った。震災前にあった地区毎のテントはなかったものの、トラックを囲む児童席、保護者や地区の人々、青のジャージを着た中学生と、なんとも賑やかだった。河北新報の記事によると吉田東部町づくり協議会による餅まきも行われたようだ。私は先週から、月曜と木曜の午後に児童のスクールバス乗車の補助の活動をしている。地域の役に立つのはうれしいものだ。

2014年9月15日月曜日

花を見に、泉ボタニカルガーデンと薬来ガーデンに出かけた

いつものSさんの車で花を見に行った。初めは仙台市泉区にある七北田ダム脇にあるボタニカルガーデンだ。自然の山の地形を生かしながら様々な花を間近に見ることが出来た。次に行ったのは、大崎地方にある独立峰の薬来山の麓にある薬来ガーデンだ。なだらかな丘に色とりどりの花が敷き詰められるように咲いている。北海道富良野のラベンダーを凌ぐ美しさらしい。昼食を食べた広場では南米アンデスから来たデュオが「コンドルは飛んでいく」等を演奏していた。

2014年9月9日火曜日

前に広がるエンドー豆畑にヘリで薬剤散布

同じ開墾場のOさんに畑を貸している。前にははソバを植えると言っていたが、エンドー豆の方が収益性があるらしく、今は青々とした緑の絨毯が広がる。大型の機械を持っており、キャタピラーで動くトラクタが来たと思ったら、何やら回転するアタッチメントで草刈がされていた。
 今日は小型のヘリがやってきた。個人の所有でなくJAだったか町が持っているらしい。脇の道路上でリモコン操縦し、畑の上を何度も前進後退しているのが見えた。
 昨年の夏は、朝の6時頃角田からやってきて草刈りした。1時間くらいがんばっても幅4m位がやっとで、東から西に一通りするのに1ヶ月近くかかったのがうそのようだ。

2014年8月16日土曜日

大畑浜で流灯花火を見た

何年ぶりだろうか。夕食後妻と車で出かけた。開墾場内の道路沿いで見ている人がいる。家並みがなくなっている通りを抜け、大畑浜の鳥の海堤防まで行って車を止めた。警備のための赤色灯を点けたパトカーが1台あった。堤防沿いの道路には家族連れやカップルがけっこう沢山集まっていた。初めは人の後ろから、そのうち一歩前に出て水面大きく広がる花火を見やった。思いのほかすっきり見えた。心配した霧雨もたいしたことなかった。途中中断の後また花火。そしてまた中断。まだ終了の7時半まで5分ちょっとある。最後はもっと華々しくあがるはずと待っていたが、それはなかった。広報に「ミニ花火大会(1500発)」とあった。震災以来初めての花火だったそうだ。なお、流灯の方はテレビで大きく紹介されていた。

2014年8月11日月曜日

花火が見えた

撮影した中にハート型のがあった
ボンボンという音に気づき、窓から外に目を向けると花火が見えた。山の手前からのようだ。四方山の電波塔の麓、或いは6号線沿いの仮設住宅か山元インターあたりから上がっているように見える。ネットで調べてみると、山元町の小平夏祭りが昨日あったようだ。昨日は台風で花火どころではなかったろうから、それが今日になったのかもしれない。
 去年は、角田のアルプス電気の花火がすぐ西に見えた。わが家も嵩上げして少し高くなり、周囲の木々が少なくなっているので、もしかすると今年は亘理の花火も以前よりもよく見えるかともしれない。

2014年8月8日金曜日

七夕の中央通、一番町を歩いた

買い物がてら七夕最終日の仙台に出かけた。浜吉田駅に自転車を預け、列車に乗り込んだ。今はここが始発だ。乗り込む人は数人のみで寂しいものだ。ところが隣の亘理駅ではこんなにと思うくらいの乗車があった。考えてみると、亘理駅では列車代行バスが発着する。県内の山下、坂元だけでなく福島県の相馬からの乗客が加わっているのでの大人数だった。
 まともに七夕飾りの通りを歩くのはかなり久しぶりだ。子どもたちが小さかった頃に動く七夕のパレードを見に出かけて以来かもしれない。竹飾りや沿道の出店の呼び込み等相変わらずの光景があった。が、駅近くの名掛丁あたりは飾りが私の頭の上と高いので驚いた。その他の通りもいくぶん高くなっている感じがした。吹流しの飾りは相当手の込んだものもあるが、出来合いのを使った簡素なものが増えているようにも思えた。
 目的のK刃物屋で彫刻等3本と鑿2本1万7千円也を買い求めた。これで、毎日の楽しみが一つ増えた。

2014年7月31日木曜日

妖しい雲が見えた

この夏の異常気象を暗示するかのような雲が上空に広がった。青空との境がはっきり分かれていて、いく条もの筋があったり、もくもくといたるところ盛り上がるものもあった。雹でも落ちてくるかと心配した。

2014年7月13日日曜日

南蔵王の花の山、水引入道を歩いた

南蔵王の不忘山脇にある水引入道という山を歩いた。目的はチシマギキョウという花を見ることだ。いつものように遠刈田温泉駐車場に行かず、登山口の白石スキー場駐車場に直接向かった。
 ガイドブックには健脚向きとあり、私の脚では果たして大丈夫だろうかと心配だった。なんとか歩き通せたが、何度もメンバーに待っててもらう散々な状況だった。途中雨模様になりカッパを着たり結構大変だった。私が参加しなかった昨年の山歩きでは見つからなかったというチシマギキョウに出会うことが出来た。

2014年6月26日木曜日

荒浜に行ってみた

父が近所の方から「荒浜は変わった。立派な堤防もできたらしい。」と聞き自転車で出かけたいと話していた。91歳になる年齢のことがあり、疲れるのではないか心配で、車に乗せて見に行った。
 まず子どもの頃よく自転車で行ったように、大畑浜から海に向かった。鳥の海沿いの道は去年と同じように途中から通行止めだ。しかし、応急のロックフィル堤防から立派なコンクリートの堤防が遠くに見えた。道を引き返し、長瀞浜から入ろうと思った。しかし、ここも排水機場の手前で写真のように通行止めだ。再び道を戻り、浜街道から荒浜街道、亘理温泉まで行き、少し戻って蛭島の手前まで行ってみた。蛭島は樹木は一つもなく何やら護岸工事がされていたが、やはりその先には進めない。震災前は家からまっすぐ鳥の海沿いに荒浜まですぐだったのに、今はぐるっと遠回りしないとたどり着けない。これでは父が自転車で来ても殆ど進めなかったかもしれない。
 亘理町の中で一番被害が大きかった荒浜は、この2学期から再開する荒浜中学校の校舎や災害公営住宅の建築が進んでいるが、いまだに更地のままの所が多い。わが家も含め、壊れた家は新しく建てられ、津波の痕跡が僅かになった開墾場とは大きな違いを実感した。

2014年6月6日金曜日

板塀が出来上がった

ここには大谷石の石塀があったが、津波で破壊されコンクリートの基礎だけが残されていた。元のような背の高い塀は不要だが、やはり外の道路と隔てるものは欲しい。そこで、板塀を作った。いつも利用しているダイショップから園芸杭を買い、大きなカケヤで地面に打ち込んだ。そこに、我が家の杉板に防腐剤を塗ったものをコーススレッドで固定した。強風で倒れても困るので、板は隙間をあけて並べ、隣と20センチばかり間隔を取っている。今は少々殺風景だが、地面から伸び出しているノウゼンカツラやその他の低木、草花が彩りを見せてくれるに違いない。

2014年6月2日月曜日

穏やかな夕景だ

春先の強風の時期を過ぎ、穏やかな日々が増えてきた。私の分担の夕食後の片付けの後、生ごみを始末しようと勝手口を開けると、西の阿武隈山地に沈む夕陽が目に眩しかった。いつもはシャッターチャンスと思って、2階からカメラを持ち出し外に出ると、日輪は沈んだ後といった有様だ。今日は間に合った。少しずつ山に沈む1刻1刻を撮ることができた。

2014年5月25日日曜日

やっとベッドが完成した

                  私の身長にあったすのこベッドが出来上がった。材料は製材した杉材。ハウツー本を参考に必要な本数を揃え、カンナをかけた。接合は簡易なコーススレッドを使うことにした。釘頭が見えないよう、フォスナービッドでくぼみを作り、最後に丸棒を埋め込んだ。長さは2m10cm。ここに私の身長に合わせた2m20cmの長さで作った敷き布団を敷いた。以前の市販のベッドは足を伸ばすと縁に当たっていやな感じがあったが、これはその心配はない。問題は部屋が狭くなることだ。

2014年5月16日金曜日

亘理は毎日が強風と言っては言いすぎですが…

亘理に戻って閉口している事が一つある。午後になると毎日の様に強風が吹く事だ。引っ越しの翌日テレビのアンテナ設置をして貰ったが、あまりの風の強さに工事業者が、その日の作業を中止せざるを得なかったほどだ。
この日は特別で、二階から見た西手の道路は巻上げられた土で家や走るクルマが霞んで見えた。
明治の中ごろ、この地を開墾した先祖は、作物を植えても風で飛ばされてばかりで初めの10年位は収穫できなかったそうだ。今は強風から家や田畑を護る防風林が震災の津波の塩害でなくなっている。明治の時代もこんな感じだったのだろうか。
防風林の居具根はないし、宅地は嵩上げで高くなっている。なんとかしたいところだ。

2014年5月11日日曜日

山形市野草園に

亘理のSさんとの山旅、今年のスタートは山形市野草園。蔵王の中腹にある。仙台の野草園が街の中に作られた自然というイメージに対して、こちらは大自然の懐に抱かれた感じだ。数え切れないほどに説明板が置かれ展示されている。
これはミヤマカスミザクラ、世界にたった一つの木だそうだ。花の時から赤みを帯びた葉が出ている山桜があるが、これはまたまったく違った印象だ。
帰りに土産の3種を求めた。

2014年4月27日日曜日

製材された板が届いた

100年以上前からこの開墾場集落に住むわが家には竹林と杉林のイグネがあった。津波の塩害で枯れた杉やケヤキ、桜の木を活用したいと角田市のW製材に加工を依頼していた。震災の年に伐採した杉は主に塀や整理棚を作り、5年ばかり前に伐採し乾燥させていたケヤキでは座卓を作りたい。
昨年家の建築のために伐採したケヤキや桜は厚さ15センチ程に挽き何年か後に使えるようにとって置く。
 震災前およそ100軒あった開墾場は私の家が戻って62軒目と区長さんに聞いた。ちょっとさびしい話だが、建設中の小学校はこの2学期に仮校舎の吉田中から戻る。明るい話題だ。

2014年4月26日土曜日

お地蔵さんが披露された

東日本大震災では、わが亘理町でも多くの命が失われた。幸い私は自宅が海から2キロと離れていたこと、津波の水面を窓外に見て即座に2階に駆け上がれたことで助かった。先月末には嵩上げした家も完成し、避難していた角田市から家族3人戻ってくることができた。
 今日は、山形県の曹洞宗の団体から寄贈された母子3体のお地蔵さんの建立披露がすぐ北にある長瀞小の旧校庭であった。町長や当時の農水大臣らがテープカットをした。ハード面の復興の進行に合わせ、心の復興も進むことを期待したい。
このブログは以前のSフィールドに同様に、復興と日常のあれこれを綴っていく。

2014年4月13日日曜日

父は91歳

父は今日で91歳になる。元気でこの日を迎え、有難いことに震災から3年の角田での避難生活を乗り切り、新居で暮らせることになった。町内の寿司店でささやかな祝いの食事となった。
薬はいろいろ飲んでいるし、足腰も大分弱くなってきた。しかし、身の回りのことは自分で全部する。近くまで自転車に乗って出かけることもできる。この分だと、百歳の長寿も大丈夫ではないかと思う。

2014年4月10日木曜日

角田からの引っ越し

布団や鍋釜、食器は3月25日に済ませたが、タンスや冷蔵庫などの大物の引っ越しは業者に
来て貰い、4月10日の作業となった。
都合3名での作業だ。リーダーの的確な指示があり、実に見事な仕事ぶりだ。よくテレビのコマーシャルでみるとおりだ。
外回りのものは運んでいない。草花もできれば運びたい。掃除もある。そのため電気と水道は今月末まで止めないことにした。

2014年4月4日金曜日

雨が降ると…

庭には砕石をだいぶ入れたが、やはり雨が沢山降ると低いところに水溜りができる。赤いコーンの見える所は、壊れたままの井戸のあたりだ。南の畑もガレキの除去や除塩作業で土が足りなくなってしまった。
この畑、昨年夏は毎日のように角田から通って草刈りをした。今年は、ソバを植えるから貸してほしいと言う人が出てきた。辛い草刈りから開放されそうだ。

2014年4月2日水曜日

中古のトラクター

引っ越しと新築の祝いに妻の実家の兄姉がお祝いにとトラクターをプレゼントしてくれた。中古だが、やはり耕す威力はたいしたものだ。主に妻が使うことになるが、まずは操作を覚えることが肝心だ。

2014年3月24日月曜日

亘理での再スタート

ようやく自宅が完成し、ビルダーから引渡しを受けた。場所は元の所だ。但し、住所は事情があり変更になった。1mばかり嵩上げしてある。1階はLDKに仏間、父の居室、風呂・洗面・トイレ、2階は私と妻の部屋が一つずつに予備室が一つにトイレと実にコンパクトだ。
荷物を厳選し、なければ困るもの以外は離れを物置にしたのでそちらに置くことになる。もう一つの離れを作業場にした。わら細工や織物をしたり、木工や絵を描いたりと有効に使いたい。
そうなる前に、先ずは荷物の整理が必要か。