2014年7月31日木曜日
2014年7月13日日曜日
南蔵王の花の山、水引入道を歩いた
ガイドブックには健脚向きとあり、私の脚では果たして大丈夫だろうかと心配だった。なんとか歩き通せたが、何度もメンバーに待っててもらう散々な状況だった。途中雨模様になりカッパを着たり結構大変だった。私が参加しなかった昨年の山歩きでは見つからなかったというチシマギキョウに出会うことが出来た。
2014年6月26日木曜日
荒浜に行ってみた
父が近所の方から「荒浜は変わった。立派な堤防もできたらしい。」と聞き自転車で出かけたいと話していた。91歳になる年齢のことがあり、疲れるのではないか心配で、車に乗せて見に行った。
まず子どもの頃よく自転車で行ったように、大畑浜から海に向かった。鳥の海沿いの道は去年と同じように途中から通行止めだ。しかし、応急のロックフィル堤防から立派なコンクリートの堤防が遠くに見えた。道を引き返し、長瀞浜から入ろうと思った。しかし、ここも排水機場の手前で写真のように通行止めだ。再び道を戻り、浜街道から荒浜街道、亘理温泉まで行き、少し戻って蛭島の手前まで行ってみた。蛭島は樹木は一つもなく何やら護岸工事がされていたが、やはりその先には進めない。震災前は家からまっすぐ鳥の海沿いに荒浜まですぐだったのに、今はぐるっと遠回りしないとたどり着けない。これでは父が自転車で来ても殆ど進めなかったかもしれない。
亘理町の中で一番被害が大きかった荒浜は、この2学期から再開する荒浜中学校の校舎や災害公営住宅の建築が進んでいるが、いまだに更地のままの所が多い。わが家も含め、壊れた家は新しく建てられ、津波の痕跡が僅かになった開墾場とは大きな違いを実感した。
まず子どもの頃よく自転車で行ったように、大畑浜から海に向かった。鳥の海沿いの道は去年と同じように途中から通行止めだ。しかし、応急のロックフィル堤防から立派なコンクリートの堤防が遠くに見えた。道を引き返し、長瀞浜から入ろうと思った。しかし、ここも排水機場の手前で写真のように通行止めだ。再び道を戻り、浜街道から荒浜街道、亘理温泉まで行き、少し戻って蛭島の手前まで行ってみた。蛭島は樹木は一つもなく何やら護岸工事がされていたが、やはりその先には進めない。震災前は家からまっすぐ鳥の海沿いに荒浜まですぐだったのに、今はぐるっと遠回りしないとたどり着けない。これでは父が自転車で来ても殆ど進めなかったかもしれない。
亘理町の中で一番被害が大きかった荒浜は、この2学期から再開する荒浜中学校の校舎や災害公営住宅の建築が進んでいるが、いまだに更地のままの所が多い。わが家も含め、壊れた家は新しく建てられ、津波の痕跡が僅かになった開墾場とは大きな違いを実感した。
2014年6月6日金曜日
板塀が出来上がった
ここには大谷石の石塀があったが、津波で破壊されコンクリートの基礎だけが残されていた。元のような背の高い塀は不要だが、やはり外の道路と隔てるものは欲しい。そこで、板塀を作った。いつも利用しているダイショップから園芸杭を買い、大きなカケヤで地面に打ち込んだ。そこに、我が家の杉板に防腐剤を塗ったものをコーススレッドで固定した。強風で倒れても困るので、板は隙間をあけて並べ、隣と20センチばかり間隔を取っている。今は少々殺風景だが、地面から伸び出しているノウゼンカツラやその他の低木、草花が彩りを見せてくれるに違いない。
2014年6月2日月曜日
穏やかな夕景だ
2014年5月25日日曜日
2014年5月16日金曜日
亘理は毎日が強風と言っては言いすぎですが…
亘理に戻って閉口している事が一つある。午後になると毎日の様に強風が吹く事だ。引っ越しの翌日テレビのアンテナ設置をして貰ったが、あまりの風の強さに工事業者が、その日の作業を中止せざるを得なかったほどだ。
この日は特別で、二階から見た西手の道路は巻上げられた土で家や走るクルマが霞んで見えた。
明治の中ごろ、この地を開墾した先祖は、作物を植えても風で飛ばされてばかりで初めの10年位は収穫できなかったそうだ。今は強風から家や田畑を護る防風林が震災の津波の塩害でなくなっている。明治の時代もこんな感じだったのだろうか。
防風林の居具根はないし、宅地は嵩上げで高くなっている。なんとかしたいところだ。
この日は特別で、二階から見た西手の道路は巻上げられた土で家や走るクルマが霞んで見えた。
明治の中ごろ、この地を開墾した先祖は、作物を植えても風で飛ばされてばかりで初めの10年位は収穫できなかったそうだ。今は強風から家や田畑を護る防風林が震災の津波の塩害でなくなっている。明治の時代もこんな感じだったのだろうか。
防風林の居具根はないし、宅地は嵩上げで高くなっている。なんとかしたいところだ。
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